楽しいと思うには苦しまなきゃいけないのか?
こんにちは。
ずいぶんと久々の投稿となってしまいました、、、
みなさんお元気ですか?
夏、楽しんでいますか?
前回の投稿はちょうど考査の直前だったので、そのころに比べたら心も落ち着いてきているんだと思ってるんですが、
夏休みになれば、「日常に刺激がほしいなぁ」と感じてしまうんです!
なんでだろうね。自分でもまったくわかりません。
そんななか、先日、塩屋の卒論修論発表会に招待されましたので、今回はそのときのことを投稿します。
そこで僕は、昨年高専デザコンにて発表した提案について、そのときのメンバーといっしょに発表させていただきました。
過去の記事に当時のことをつづった投稿がありました。
良ければどうぞ。
この発表会は塩屋駅すぐのところにあるグッゲンハイム邸にて行われました。グッゲンハイム邸のなかに入るのは初めてのことでした。
なんですが、このとき、わくわくという気持ちよりはこわいなぁという気持ちでした。
僕たちはコンペなどで、主催者=対象の地域でない人々に提案をみせていますが、
実際の地域の方々にみてもらうことはなくて、でも地域のことはそこの地域の方々が一番わかっているからこそ、
否定的なことを言われてしまったらその分、過去の自分についてもつよく否定される感覚がしたからです。
なので、不安でしたし、会場に予想以上の方々がきてくださったこともあって、もっと不安になりました。
発表も一番最初でなんの気持ちの整理もつかないまま、でも自分の言葉で発表したことだけ記憶しています。
そのあと、なぜか涙が出そうになりました。理由はわからないんですけど。
だけど、僕以外のチームメイトはみな明るくて、いろいろと励ましてくれたから、またしても助けられました。
大学の方々の卒研の発表もききました。いろいろ考えながら聞きました。
そこで考えるのも楽しかったし、他の来場者の考えていることも知れて、不安だった気持ちはなくなっていました。
発言の機会、自身にとっては巨大すぎる勇気がいりましたが、そこで得られたものはそれより遥かに大きかったんです。
コンペティションや学校の課題では、作品を完成させてしゅーりょー、ということが少なくないです。
でも、それはほんとうに地域のためになってるの? 僕たちが、その地域に建築をかんがえることだけで満足してるのでは?
考えさせられました。さまざまな人が集まるからこそ得た考え方でした。
とはいえ、塩屋のような、高低差あり裏路地あり海あり山あり、みたいな地域に魅力をもつ理由ってなんなんだろうね??
この前、坊勢島に行きましたが、そこも家が高低差にそって連なっていてどことなくいいな〜、と思ってたわけですが、、、尾道なんかも類似してるんですかね〜
ふしぎです。
海。水平線をみると、自分の存在ってほんとにちいさなものだな、と思ってしまいます。悩みごとがすぅーっとなくなるのだけど、それと同時に空虚な気持ちにもなります。
これもよくわかりません。
この前、無意識のうちに人を傷つけてる、と言われて、そう言われてるときものすごく悔しくなったので、なにか変わろうって思ってます。
ただなにを変えようって思うと、その変えるべきものが分からなくて困ってます。
でも少なくとも、高専を卒業するまでに発見しなきゃいけない。
明日のことが、今以上なのか今以下なのか毎日分からないです。
ただ、このわからないフラストレーションで生きてきたといってもおかしくない僕にとっては、この道は避けちゃいけないものだと、後になって思いました。
この日の空は、数年ぶりくらいの青空でした。みていて清々しい気分になったんです!
最近は建築にふれるたびに、思考のエネルギーが摩耗してる感覚があります。
考えたら考えるほどおかしくもなるし、頭の中がこんがります。実際は感覚ばかりではどうにもならないことばっかりです。
そんなこと思い出しながら「終わりなき旅」を聴いてます。午前五時です。
グッゲンハイム邸にキレイな花がありましたよ〜
またそのうち更新いたします。
ではでは〜